診察室での蝶の羽ばたきは地域で竜巻を引き起こすか?

毒を以て毒を制すタイプの精神科医

自分の感情を受け入れる。

 ラク・ハックとは、ライフハックのもじりです。
 生産性ではなく、いかに「ラクに生きるか」に焦点をあてて当事者研究をしていきます。

 本日、Twitter経由で、てい氏の以下のエントリーを拝見しました。

 記事の中核である「めんどくせーなー」と言いながら、○○するについて、最近の私の経験とリンクする部分があったので、述べてみようと思います。

目次

  • 「めんどくせーなー」と言いながら動く、その意味。
  • 「べき感情」と「実際の感情」の間で揺れると、しんどい。
  • まずは自分の感情を受け入れると、ラクになる。
  • この発想は、タスク管理でも使えないかしらん?

「めんどくせーなー」と言いながら動く、その意味。

 てい氏のエントリーでは「「めんどくせーなー」と言いながら、○○する」方法が、思考を切り替えずに行動する技術として紹介されていました。
 私はこの記事を読んで、ふと、最近起こったある出来事を思い出しました。正確には、エントリーを読んで、なにかモヤモヤしていて、ずっと考えていたら、そのエピソードに辿り着いたという感じです。
 そして、てい氏の提示している方法は、ラク・ハック的な観点からも非常に有用だと感じました。
 まずは、私が思い出した、最近の出来事について書いていきましょう。

「べき感情」と「実際の感情」の間で揺れると、しんどい。

 いきなり超プライベートな話になって恐縮なのですが、私には、とても相性の悪い母がいます。母は私のことが好きなようですが(そして、地元に帰ってきて欲しいと切に願っているようですが)、私は正直、母のことが苦手で、盆や正月などに2〜3日帰省しただけでも、「同居は絶対に無理だな。」と確信を新たにするほどです。
 そして、私は母のことを考える度に、とてもしんどい思いをしていました。

 この時、何が起きていたのか、整理してみます。
 私の中には、母が嫌いであるという感情がありました。しかし、一方で親は敬うべきであるという倫理観・常識も同居していました。 そして、この2つが、心の中で激しく争っていたのです。例えるなら、漫画がアニメで良くある、主人公の左に悪魔が、反対に天使がいて、お互いに主人公に囁き合っているような、そんな構図です。
 多くの場合、私は倫理・常識側に味方していました。母を嫌ったところでどうにもならないし、万一親が倒れたら自分が動かざるを得ないのは明らかだし、親が嫌いだなんて公言したら周りからなんて言われるかわからないし……とにかく、「母が嫌い」側につくメリットを感じなかったからです。私が味方したおかげもあって、倫理・常識側は、常に優勢でした。
 にも関わらず、母のことを考えると、私は非常にしんどい状態になりました。当時の自分には、その理由がわかりませんでした。

まずは自分の感情を受け入れると、ラクになる。

 ある時、ふと、気がつきました。「そうか、私は母が嫌いなのだ。」と。言い訳もなく、否定もなく、自分が母を嫌いであることが、素直に受け入れられた瞬間があったのです。
 すると、不思議なことが起こりました。その瞬間に、非常にラクになったのです。
 「母を嫌いである」。これは日本の道徳的にどうかと思いますが、良いかどうかは別にして、現実に自分の中に起こっていた感情だったのです。自分の中にれっきと存在する感情だったにも関わらず、今までは、見ないふりをして、いないことにしてやってきたのです。それを受け入れただけで、これほどラクになるとは。私にとっては衝撃でした。

この発想は、タスク管理でも使えないか?

 以上の私の経験から、てい氏の「「めんどくせーなー」と言いながら、○○する」方法は、単に思考の切り替えを無くす以上の可能性を秘めていると考えました。
 仕事というのは本来バリバリとこなすものであり、デキるビジネスパーソンは(ビジネス書などを読む限りは)楽しんで仕事をされている訳です。それと比べると、やるべきことに対して面倒くさいと感じる、それ自体が否定したい感情であり、否定したい自分になりがちです。
 そんな時に、まずは、面倒くさいという感情(面倒くさいと感じる自分自身)を受け入れるというステップを踏むことで、気分がラクになります。また、「自分の感情を否定する」という余計な精神エネルギーを使わなくて済むようになるので、その分をもっと有益なことに回すことができるようになります。
 その結果として、面倒くさいという感情を抱えながら仕事に向かうことになるかもしれないし、先送りにするかもしれません。しかし、どちらの決断をするにしても、今までよりはラクに行うことができそうです。

 この方法を、しばらく試してみようと思います。