診察室での蝶の羽ばたきは地域で竜巻を引き起こすか?

毒を以て毒を制すタイプの精神科医

こんていんめんと(本日の広島精神分析セミナーより)

 精神分析クライン派の考え方に「コンテインメント」という概念があるそうでございまして。

 大変難解な概念らしいのですが、今日の講義資料から断片的に引用すると、
 

“ 患者の何かが分析者の中に、少なくとも一時的に逗留(とうりゅう)しているのだと両者によって体験され、その逗留の間に治療者の心の中で変形(解毒・消化)されて、患者の心の中に戻される……この変形プロセスこそコンテインメントと呼ばれるものである ”

 


 

“ 「分析者の心が、患者の一部あるいは患者の体験の一部を迎え入れ、それをより耐えられる形へと変容し、適切なタイミングと適切な強度でもって、患者に返していく」というプロセスである。 ”

 


 

“ 投影同一化によって失われていた自分自身の心・体験を対象の心での受容と理解を通じて、新たな意味とともに取り戻す過程であるともいえるだろう。 ”

 


 

“ 患者の耐えられない心的体験・心的要素が分析者の中に一時逗留し、そこで体験され理解されたとき、患者は安堵とともにその「理解する良い対象」を内在化する。 ”

 


 
……ということのようです。
 
 正確な解釈ではないとは思いつつも、先日のイタリア医療シンポジウム(まだまとめられていない)や、べてるの家や、V.E. フランクルの著書(ようやく1冊読み終わる程度の知識)で共通して述べられていた「患者の主体性の重視」に通じるものを感じ、色々なことがつながっていっている気がします。
 
 これまで、精神分析にはどちらかと言えば父権的なイメージを持っていたのですが、どうやらそればかりではないようです。今日の講師の飛谷先生も、「精神分析とは、その人らしさを回復(発見)することだ。」とおっしゃっていました。
 
 ひとつひとつを、丁寧に掘り下げていかないといけないなーと感じる今日この頃です。